AUDI QUATTRO

Acropolis Rally 1982 - M.Mouton/F.Pons

1982年 アクロポリスラリー

使用キット:タミヤ アウディ・クアットロ・ラリータイプ  2001年2月頃完成  

<アウディ・クワトロ>
それはまさに衝撃だった。このアウディ・クワトロは81年のモンテカルロラリーでレグ1の6つのステージを終えた時点で2位に約6分もの大差をつけてしまったのだ。このクワトロの4輪駆動システムとターボエンジンはモンテカルロの凍結路でそれまでのラリーカーの常識を変えてしまった。いや、ラリーそのものを変えてしまったといっても過言ではないだろう。それまでの優れたラリーカーといえば軽量な後輪駆動車であり、ターボエンジンはともかく4WDの可能性に注目した人は皆無に等しかった。その為、この車が登場したときアウディの人間以外の多くはこんなものがまともに走るわけはないと思っていた。しかし、それはスタートから飛び出したクワトロのスピードの前に吹き飛ばされた。このときはクワトロをドライブしていたH.ミッコラのミスでクラッシュ、リタイアしてしまったが、クワトロの登場は多くの人々に衝撃を与えた。そして、約1ヵ月後のスウェディッシュでミッコラは圧倒的スピードでクワトロに初勝利をもたらした。この車は瞬く間にアウディをトップチームに押し上げ、81年から87年までの間にクワトロとその派生モデルはWRC24勝を挙げ、4つの世界タイトルを手中にしている。
ただし、滑りやすい路面では圧倒的なアドバンテージを持っていたものの、初期のクワトロには問題も多かったのも事実で、なかなか信頼性が確保できず速さを見せながらリタイヤということも多く、特にラフロードではその弱点を露呈した。さらに重量も重くドライターマックではまだ2輪駆動車に分があった。また、かなりノーズヘビーで重量配分は悪かったし、初期の4WDコンセプトは未完成な部分が多く、そのハンドリングは誉められたものではなかった。それでも、4WDターボのクワトロはそれらの欠点を補って余りあるポテンシャルを持っていたと言えるだろう。
この模型はクワトロの中でも初期のGr.4バージョンのものです。81年のアクロポリスラリーで女性ドライバーのM.ムートンが優勝した時の仕様です。この年、M.ムートンはランキング2位に入り、アウディはメイクスチャンピオンを獲得しています。その後、Gr.Bの時代になってからもクワトロは強さを発揮し、83年にはH.ミッコラがドライバーズタイトルを獲得。84年にはメイクスとドライバーズ(S.ブロンクビスト)のダブルタイトルを獲得しました。アウディ・クワトロは84年にプジョー205T16が出てくるまではWRCにおいて敵無しの状態でした。
<工作>
まったくと言っていいほど手を加えてません。キットを説明書どうりに造ったと言っていいでしょう。本当はGr.Bのクワトロが造りたかったのだが、キット化されていないし改造は無理そうだったので断念。さらにいえば81年のモンテカルロかスウェディッシュの仕様にしたかったが、デカールがないのでこれもあきらめました。まあ、古いキットですがきちんと作ればなかなかのものになります。ただ、フロントバンパーとフェンダーは塗装した後で接着したのですが、パーツがうまく合わなかったり綺麗に接着できずに汚くなってしまったのでイマイチでした。フロントバンパーとフェンダーは先に接着してから塗装をしたほうがいいかもしれません。
<塗装について>
基本的に説明書どおり。ボディのホワイトはグレーサーフェイサー→ベースホワイト→Mr.カラーのホワイトと塗って、グンゼのスーパークリアーで仕上げています。かなり一生懸命コンパウンドで磨いた記憶があります。途中で塗膜が剥がれてやり直したりしてかなり苦労しながら完成させたのですが、あまり報われなかったですね…。使った塗料はほとんどMr.カラーです(一部にはタミヤカラーを使用していますが)。
今、この車を見るとラリーカーのベース車に使えるとは思えないけどね。大きいボディ、長い前後のオーバーハング等、かなり辛そう。それにこの車の4WDシステムはかなり原始的で、あくまで4輪がすべて駆動するというだけでセンターデフなどついていない直結の4輪駆動だった。ターボエンジンにしてもターボラグが大きくかなり扱い辛い代物だったと言われている。いわゆるドッカンターボってヤツでね。さらにかなりノーズヘビーで重量配分は悪かったみたいだし。当時のラリーカーには、現在では標準装備の電子制御デフやアンチラグシステムなど存在しなかったので、当時のドライバーは相当苦労したハズ。とゆーかよくこんな車をまともにドライブできなぁ…と思ってしまう。4WDターボであったことだけがクワトロを最強にしたといってもいいだろうね。まあ、当時のラリーは今よりかなり走行距離が長く、今ほど高速化してはいなかったから最初から最後まで全開で走る必要は無かったみたいだけどね。
あと、この模型は99年頃にスポットで再販されたものを購入して作りました。現在、このキットを入手できるかどうかはわかりません。

2001年12月29日

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